窓の外のドイツ留学

ドイツ大学院留学のブログです。ドイツ大学院修士課程を修了し、ドイツで博士課程に在籍しています(四年目)。

僕は如何にしてドイツの大学院生になりし乎13(最終回) 卒業後、出発まで

「近いうちに」なんて書いたくせに約4か月後のシリーズの更新となりました。

今回でいよいよ最後です。ごめんなさい。

 

 

madonosotokun.hatenablog.com

 

 

前回までで学部卒業のことを書きました。

 

その後僕は実家の方に帰ったのですが、この間に残り二つの志望校に出願したわけです。バイトをしてお金を少しでも貯めないと、っていう期間でもありました。

 

すでに出願したもう一つの大学からは不合格となり、もうこの2つしかないわけです。ちなみに、もし両方だめならおそらく公務員予備校に通って今は北海道のどこかの役場で働いているのだろうと思います。

 

そんな、「落ちたらどうしよう」みたいな状況ではあり、バイトもしている中でしたが、地元の友達と遊びに行ったっり飲みに行ったりすることもできたので、ずっと一人で不安になっているわけでもありませんでした。

両親や祖父母とも一緒にご飯を食べていたりして、出願もするだけだったので、この半年間は結構自由にダラダラと生活していました。

 

 

卒業後に出願した2つのうち、最初に出した方は「合格者はすぐに連絡が来て、不合格者にはあとから連絡が来ます」みたいなことになっていました。

なのでそこから半月後、最後の大学出願のときに連絡が来ていなかった時点で「これはまさか…」なんて言う自覚がありました。それが6月のこと。

 

それから5~7日ぐらい過ぎた頃でしょうか。最後に出願した大学から合格通知が!

連絡が思った以上に早く来て「これ本当に合格通知か?」なんて何度もメールを読み返していましたが、やっぱりこれがその通知書で、その結果、僕は今年の10月に修了した大学院に進むことができたのです。

先に出願した大学院の方はのちに不合格通知が来ました。

 

結果、3校に出して合格が1校、合格率33.3%でしたが、本当に良く場所が見つかってよかったと思っています。

これがなかったら今PhDの学生もやっていないと思うと、ゾッとしますね。

 

 

なにせお金は切り詰めていかなければならなかったので、家族内の条件の一つとして「修了までの2年間は、どういう事情があっても日本には帰られない」というものがありました。

実際エッセンで生活してみると、ドイツから日本、さらには北海道の実家までの往復費用は、1.5か月から2か月分の生活費と同じ額になってしまうからです。

 

この結果、さらに僕は現在コロナの影響で日本にはもう2年以上帰国できていませんでしたし、この間、起こってほしくないことも起こってしまいましたが、それは別の話になってしまうので詳細は書きません。

 

ただ、大学に入学してから、もっと言えば大学に入る前からの自分の身に起こった良し悪しにかかわらない出来事というのが今に至ったんだと思っています。

 

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今年の初めぐらいから書き始めたこのシリーズ。ダラダラと更新したせいで1年がかりとなってしまいました。いるかどうかは分かりませんが、最初から最後までこんな話に付き合ってもらった方々には感謝しています。もしかしたら、今後内容を少し直していくかもしれません。基本的にバババッと書いたもので文章に変な部分があったり、書き足りなかった部分があるかもしれないからです。

 

とにかく、どうか留学を目指している方には頑張ってほしいと願うばかりです。

 

そのうち修士課程留学の2年間もこんな感じで書くかもしれませんが、それもすぐではないと思います。スイマセン。

 

また別なことをチョロチョロと更新していきますが、気にかけていただけると幸いです。

それではこのシリーズは終了です。ありがとうございました。