久々にこのシリーズの続きを書きます。
前回はもう4月の末だったんですね。
ずっと見ている人がいるかどうかわかりませんが、もし気にかけてくださっていた方がいれば、更新が滞ってしまい、申し訳ございませんでした。
今回、次回でこのシリーズは終わる予定です。
一応、合間が長かったので、ここでいったん1回目からのリンクも下に貼っておきます。
このシリーズでは僕がどういった経緯で現在ドイツの大学院に進学できるに至ったか、ダラッと高校3年生の受験ごろから書いています。
前回は大学院出願に必要なIELTSのスコアをどうにか取得、学部最終学年となり研究室に配属したことなんかを書きました。
5年生後期、10月あたりにDAADの奨学金のための書類提出があったため、それのために書類を準備しました。IELTSはこれに間に合うように点数を一応取れたことになります。
DAADのことについても、以前別な時に書いたので、そちらを見てもらえればと思います。
面接で落ちました。
感覚的には、それまで面接をとにかく苦手としていた(僕は高校の時の推薦試験で、定員割れしているのに落ちるというトラウマ的な経験をしています)が、この時の面接は「これで落ちたらもう仕方がない」と思えるほど自分的には自分を出し切れた感じです。
とはいっても落ちたことには変わりないので、やっぱり採用された人はすごいなと、誰が採用されたのかは分かりませんがその人たちを尊敬しています。
JASSOの奨学金は書類審査で見ごとに落とされました。これは僕の中でDAAD以上に仕方がないというか、採用されることはないだろうなと思っていました。
結局、奨学金を得ることはできず、留学をすることになれば私費で行くしかなくなってしまいました。
さて、IELTSや奨学金やら、さらには志望大学院の出願準備はやっていましたが、それに並行して卒業論文も準備していたわけです。
僕的には割と苦がなく進められたと思います。それはやっぱり研究室のほかのメンバーと研究室の教授に恵まれていたからです。また、コアタイムがなくて自分の好きな時間に研究室に行くことができたので、日曜日から次の日曜日までなんやかんや皆勤賞になっても別に問題はありませんでした。
休憩がてら、ほかの研究室を見に行くと、誰かしら友達は深夜でも残っていましたしね。理系あるある、かな?
そして卒業の年の2月。卒業研究発表の日。
まぁ~~~~緊張しました。
とにかく、教授陣の前で何か発表するっていうのは緊張しますね。
みんな無表情ですし、えぐい質問されたらどうしようかなって思って。
ただ、なんやかんや耐えました。無事に卒業が決定。そりゃしないとメチャクチャ困りますが。
3月。卒業式。
留学の関係で卒業はほかの人よりも基本的には1年遅れたわけですが、チラホラ友達の中にも同じ時期あたりに1年留学していて僕と同じ年に卒業する人もいました。
彼らはその次の月から就職するわけで。
僕だけ進路が決まていないというのはやっぱり心細いというか、不安もありました。
実はこの時期には、出願する3つのドイツの大学院のうち、1つには出願して、見事に書類で落とされたのを知ったころだったと思います。だから余計に不安になって。
友達とは顔では笑いながら話すけど、内心ビクビクしていた時期でした。
そして僕は4月から実家に帰り、残り2つの大学院への出願と、アルバイト生活が始まったわけです。
留学した1年も併せて、5年間大学にはお世話になりました。
このシリーズの一回目の時にも書きましたが、僕が進学した大学は「国立の底辺」なんて揶揄されるところで、僕の第一志望の大学どころか、センター試験の自己採点を終えるまでは志望校の考えにもなかった大学でした。
くだらない高慢さで学部1年目はほぼほぼ棒に振ってしまいましたが、その後の留学以外も含めた経験や周りの人たちのおかげで、大変充実した大学生活を送ることができました。
今では、この大学に入れてよかったなと、体験してみて実感するもので。
気が付いたらもう大学卒業は2年半も前のことになりました。
さて、次回はいよいよこのシリーズの最終回になります(予定)。
実家での半年間を書いて、このシリーズを終わらせたいと思います。なるべくすぐに書ければと思っています。
それでは、近いうちに。