窓の外のドイツ留学

ドイツ大学院留学のブログです。ドイツ大学院修士課程を修了し、ドイツで博士課程に在籍しています(四年目)。

僕は如何にしてドイツの大学院生になりし乎9 終わりと始まりの交換留学後期(4年生前期その2)

昨日に続いて交換留学後期の話を書きます。

 

madonosotokun.hatenablog.com

 

昨日は大学院進学を決め、親も渋々ではあるものの許可してもらえたことなどを書きました。

 

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その決断をしてからは、これから自分が何をしなければいけないか、比較的はっきりと決めることができました。

留学先の微生物研究室の教授ともどの大学にするかなんてことを話しましたが、大学院出願まで一年半ぐらい時間があったので、じっくりどの大学に出願するかを決めるのには余裕がありました。

 

奨学金なども調べてみましたし、IELTSも留学前から地道に続けていましたが、大学やドイツ語学校に英語圏から来た人がいて、ライティングの添削とかをしてもらっていました。

 

ドイツ語学校の試験はついに最後、C1の試験となりまして、これも合格することができました。

ところがこれには大きな問題がありまして…。

学校の友達と話して、何かC1の試験対策になるような本とか持ってる?って聞いてみたら「これが良いよ」って一冊の模擬試験の本を渡してくれました。一通りやってみたんですが、なんとC1の試験のリーディングとリスニングがそのまんまその本の中身から出てきてしまいました。

ライティングとスピーキングは違うものになっていましたが、合格しても後味の悪い結果となってしまいました…。

 

その後、ドイツ語学校のすべての過程が終了し、公式のTestDaf(ドイツ語の試験、英語のIELTSやTOEFLみたいなもの)を受けることになりました。

リーディング、リスニング、ライティング、スピーキングのすべてで合格点を取らないと合格にならないこの試験ですが、残念ながらリスニングとライティングの2セクションが基準点よりも低くなってしまい、不合格となってしまいました。

 

それから今までまだ公式の試験を受けていませんが、今度Goethe InstitutのB2を受けてみようと思っています。(公式のドイツ語証明書はまだ持っていないので)

 

 

研究室の人や留学生ですでにマスターやドクターをやっていた人たちとも話し合って、留学をするためにどんなことをやったのか、修士課程はどうなのかなどのことを聞きました。

みんな本当に優しくしてくれて。特にインド・中国・ドイツ人の3人の博士課程の人たちにはいろいろアドバイスとか、修士課程がどんなものだったのかを話してくれました。

 

 

総じて、この交換留学は本当に大きなものを僕にもたらしてくれたと思います。

結果的に、今ではドイツにまた来ることができて、修士課程に進学することができたので。

昨日も書きましたが、もちろんこの間楽しいこともありましたが、苦しい時間の方が多かったのが僕の交換留学の経験です。それでも、自分なりに頑張れたことが多かったと思います。(もっとやるべきこともあったかもしれませんが)

 

どれくらいこのブログを留学を考えている人が見ているか分かりませんが、何でもいい、留学をしている間にこの経験をどう生かそうかとか考えてみると良いと思います。

 

旅行行ったとか、友達と遊んだ記憶が残るのはものすごく大切なことですが、「留学」なのでそれを通して何かその後の自分の人生に影響を与えるような何かを学ぶことが大切なんじゃないかなっていうのが僕の意見です。

 

 

留学最後の一週間、大学の登録解除やら銀行口座・保険・住民登録の解除など、もろもろのことはどうにか一人でドイツ語で処理することができました。

その一年前に来たときは、サポートしてくれたドイツ人学生がいたにもかかわらずてんやわんやしていたのに比べると、語学的には一応成長できたんだと実感していました。

 

語学の点でいうと、交換留学中一番うれしかったのは、図書館に行ったとき、ドイツ語しか話せない図書館で働くドイツ人と、英語しか話せない留学生の通訳ができたことです。

そこまで難しい内容ではなかったのですが、それでもそんなことができるようになったんだと思ったときは嬉しくて、顔がにやけました。

 

 

留学先の街を出る前日、最後に研究室の教授に会って少しだけ話をしました。

教授はいつも優しくしてくれました。「これからも頑張ってね。これから助けが必要になった時、推薦書を書いてほしいときとかはいつでも連絡していいよ」なんてことも言ってくれました。

 

 

なんやかんやといろいろたくさんあった一年でしたが、こうして僕は日本へと帰国するのでした。「絶対に戻ってくる」という意志とモチベーションはそれからずっと持つことになります。

 

 

そんな感じで、4年生後期から日本の大学に戻りました。そこからまたちょっとゴタゴタがあったりするのですが、それは次回書きます。(また間隔を空けるかもしれないです)

 

 

それでは。