シリーズ的な感じで僕がどういうわけでドイツの大学院に来るに至ったかを書いています。
1話(?)目は下から読むことができるので、そちらから読むとわかりやすいかもしれません。
前回は語学研修の募集があったというところまで書きましたね。
もともと小さいころからヨーロッパ、とくにドイツや北欧に興味があった僕は第二外国語もドイツ語を取っていたぐらいで、この語学研修に興味を持ちました。
3週間弱の語学研修で、メインの滞在先としてはドイツで、英語やヨーロッパの文化を学んだり、大学の協定校に行ったりといったものでした。参加する学生は学士・修士、異なる学科(僕の大学は学部は工学部しかなかったです)の人が混ざった10人ちょっとでした。
これまで海外に行ったことがなく、そもそも東京も当時一回しか行ったことがなかった僕は、パスポート申請やら旅行保険やらですらわちゃわちゃしていたのを覚えています。未成年だったのでパスポートは紺色でしたね。
先に言うとこの研修はもう大学生の修学旅行みたいなもので、英語の勉強や、英語による案内、現地大学生との交流などももちろんありましたが、かなり観光もできました。
フランクフルトの空港について外に出たとき「おぉ…、これが海外か…」なんてものすごく感動していたのを覚えています。
初日空港に着いたのが夕方で、そこからフランス国境の方まで移動しなければいけなかったので特にやることもありませんでした。ただもう車の中から見る外の景色、というか右車線を走っているのとか、全く読めないドイツ語の看板とかでもう感動してました。夜に食べたごはんか水か何かにびっくりしたのかわかりませんが、その日は腹を下しました。
時差ボケもあって次の日はすごく早く起きました。止まったユースホステルは川のそばで、川を超えるとフランス、ストラスブールです。ユースホステルのそばに高台みたいのがあったので階段を上って景色を眺めていました。
その日は一日中ストラスブールに滞在したのですが、もう今でも覚えているのが通りの角を曲がってドンと見えたストラスブール大聖堂です。いきなりこんなのを見せつけられて度肝を抜かされました。
そこから3週間弱、ほかにもベルリンやプラハなども行って、ちょろちょろと英語の勉強やドイツの文化や歴史なんかも学びました。あれほど何一つ面白くないことがなかった期間っていうのはもうなかなかないでしょう。間違いなく死ぬまで覚えているハイライトです。
ただこの時、僕自身が感じたのはなんか意外と外国の人と話しているなってことでした。
もちろん英語でさえ当時は全くできず、その時あったドイツ人の学生とかともちゃんと理解できなかった部分も多々あったのですが、そういう言語力ということよりシンプルに他人と話すことにあまり抵抗感を感じなかったということです。
とにかく初めて知る人とかと話すのが怖かった(というか今もまだ)僕ですが、その時はどういうわけか話せているわけです。その時どうしてそうだったのか、当時はよくわかっていなかったのですが、現在一応の結論は出ているので、このシリーズの後々に書くことになると思います。
ただそんな感覚を持った僕は「もう一度ドイツに行こう」という思いを胸に、楽しかった、感動しまくった短期研修を終えて日本に帰ることとなりました。
親とはすでに一年留学をしたいと伝えていたので、これに関しては親とのわだかまりはなく、交換留学を考えていた僕は英語と専門科目をもうちょっとちゃんとやってから行こうと考えたので、交換留学を目指す時期を「三年生の前期」を終えてから一年間と考えていました。
ところが二年生の時、いろいろとこの決断を揺さぶられることがあったのですが、それに関してはまた次回に書こうと思っています。
質問・意見・要望などお待ちしています。個人的に聞きたいことがあればお問い合わせフォームを作りましたので、そちらからお願いします。
それではまた。(明日から大学だ…)