窓の外のドイツ留学

ドイツ大学院留学のブログです。ドイツ大学院修士課程を修了し、ドイツで博士課程に在籍しています(四年目)。

僕は如何にしてドイツの大学院生になりし乎 堕落しきったセンター試験受験から学部1年生後期中間あたりまで

タイトルは完全にオマージュです。

ただ僕自身はキリスト教信者とかではないです。

 

さて、前回のブログでも書いていたように、僕自身の大学生生活、どうして僕がドイツの大学院に進学するに至ったのかについて何回かに分けて書いていこうと思います。

 

もう一つ予告している「センター試験を解いてみる」方も今日「倫理」をやってみました。このことに関しては次に「国語」を解き終わった後に書こうと思っています。

 

本題に入る前に書いておきますが、この大学生活に関するブログは割と留学とはあまり関係のなさそうに思える部分も多々書くことになると思います。改めて書くとなるとものすごく恥ずかしい部分がたくさんあるのですが、それでもよく、かつ時間がある人は読んでみてください。

 

また、YouTubeとかの留学に関する動画とかと比べると、かなり器の小さいというか、「よくお前留学できたな」なんて叱責されるような、甘ちゃんの人の話なので、「留学」 = 「明るく楽しいこと」と思っている人は…、ちょっと嫌な気にさせる部分もあると思います。

 

逆に自分はネガティブ思考だと自覚していてそれでも留学をしてみたいと考えている人には、何かしら「どうにかなるんじゃないか」って思える部分があれば幸いです。

 

前振りをダラダラ書きましたが、本題の方、今日は僕のセンター受験から大学1年生の後期試験が終了するまでのことについて書いていきたいと思います。

 

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田舎の高校生にしてみたらセンター試験は最初の「人生を決める分岐点」なんて思っていました。北海道の1月はもちろん雪が多少積もっているのですが、試験開始前の僕は寒さで震えているのか、緊張で震えているのか、はたまた昨日の夜全然眠れなくて体調が全快ではないからか、めちゃくちゃ震えていたのを覚えています。たぶんこの全部のせいです…。

 

どうにかこうにか二日間の日程、五科目七教科を終わらせ、安心したのもつかの間、次の日の自己採点では、一番最後に受けた模試の合計点数よりも70~80点ぐらい低い結果となり、相当落ち込みました。

 

僕の家は浪人なんて許してもらえず、北海道外の私立のどんなところでも、経済的な事情で進学は禁止されていました。国公立に進学できれば親に学費を出していただき、生活費は基本奨学金からという感じという計画になっていました。

また、国公立に進学したら一年留学をしてもいいという話もついていました。(僕はこの時点で留学を考えていたのですが、いつから考えていたのかというのは後々書きます)

 

センター試験前に考えていた第一志望のところは、点数的に無理だろうという結論に至り、第二志望の大学を前期に出願することになりました。問題は後期です。

割と親しくしてもらっていた生物の授業の先生に相談したら4つ、5つほど可能性のある国公立の大学を紹介してくれました。生物科目が好きだったので、理学系、工学系、農学系などでした。その中から一つ、後期受験を出願しました。

 

確か二月だと思うのですが、みごとに前期の大学に落ちました。あの合格発表の時、インターネットで自分の番号がなかった時の心臓がキュッとなった感じ、何の言葉も出てこない感じはそうそうない経験だったと思います。まして後ろには祖母がいて、何とも言えない雰囲気になりました。

 

その後も周りは進路が決まっているのに、僕は宙ぶらりんな状態で、沈みがちな数週間でした。

 

その時点で僕も含め、家族全員が道内の私立に行くことに考えをシフトしていた時に、まさかの後期で出願した大学に合格することとなりました。後々知るのですが、点数的には下から二番目とかそれぐらいだと思います。

 

そんなこんなでギリギリ国立大学に進学することができて、留学のチャンスをいただくこととなりました。ただ、大学に入学してからの一年間は無益なことばかりやっていたと今でも思います。

 

そもそも特に行きたいとも思っていなかった大学で、ましてその大学は「国立の底辺」なんて揶揄されるところでした。割とボッチで過ごしていて(ボッチ自体に抵抗感とか恥ずかしさみたいのは感じていませんでした)、ぶらぶらしていた果てに行きついたのが…、

 

パチンコでした。

 

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もう奨学金の中からお金を使っていたんです…。週一とかで。週一ならハマっていあっとは言わないとか思う人もいるかもしれませんが、今考えればゴミみたいな生活です。センター試験も終わり、親のいない自由な生活となってハメを外しちゃったんですね。金曜日とかの夜に行ってたわけですよ。親(というか母親)がめちゃくちゃ怖い人だったので1円パチンコしかやっていませんでしたが、その時はもうはまっちゃったんです…。

 

そんな僕にも転機というか。一年生後期になると、友達が少しずつできてきました。そしてパチンコに行く頻度も減っていきました。その中には留学とか海外に興味がある人もちらほらいて、その友達とかと話して知ったのが、その後の大学生活を変えるドイツでの短期語学研修の案内でした。

 

次回に続きます。

(多少はしょっている部分もありますが、質問・意見などはコメントにてよろしくお願いします…。多分この一回目が最低回だと思います…)